死刑が決まってから、わずか4日でフセイン大統領は絞首刑になってしまった。
死刑については、いろいろと是非があるなか、あっさりと、しかも、絞首刑という近代的な方法で、執行されたことは、私にとって、ショックであった。
まだまだ、「縛り首」の手法とともに生きている地域を、どのように語ればいいのか。
それは、国際的という見地では語れないのではないだろうか?
それとも、それを見越して語っていいのだろうか?
ここにまた、文化相対主義の壁を感じます。
2006年12月30日18:50
死刑執行する期間の早さ、それからその手法において、猶予がないこと、痛みのない注射などの執行方法でなかったこと。
これって、やはり、イラクの現状に基づいているわけですよね。
だから、決まったらすぐに行う、絞首刑しかないから、海外から注目されていても、その方法でやってしまう。
2006年12月31日19:57
私も自分自身で見たわけでないので、報道に煽られたり、いろいろなお説を聞けば、なるほどと思うわけですから、日本国民でも、そのときの情報で説得されてしまうのでしょう。
私は、もっと、時間をかけてフセインを裁くと思っていたのですが、また、もっと、慎重に死刑執行を行うと思っていましたので、それは、私同様に、多くの日本人が驚いたことではないでしょうか?
確かに裁判の内容は、アメリカの侵攻などから、いや、その前からの事実も含められるのかもしれません。
そして、アメリカの正義が世界の正義になっていることの事実、落とし穴に気がついた人が、それを警鐘してくださる。
私は、何か公平で、どうあれば、理想的な国家を作れるのか。
簡単ではないけれど、考えていきたいと思います。
そのような部分に、私の考える世界とは違うものを感じました。
つまり、私が考えることには限界があり、アラブでの価値観がこれらのことにどのくらい関与しているのだろうと、私に理解できるのだろうか?と考えたのです。
2006年12月31日20:13
私も新生イラクがこれで、テロの渦中にならないことを祈っています。そのためにも、フセインを罪人として、早く処理したかったのだろうと思います。だから、時期の問題は、私が思うより早かったのでしょうね。
西側の中には、自衛隊派遣をした日本も含まれており、派遣反対を叫んでもとまらなかった日本人の気持ちの問題も含まれると考えます。
海外渡航情報では、フセインの死刑執行により、テロが予想されるので、お正月であるけど、アメリカ大使館などに、近づかないようにとの、テロップがTVなどで、緊急に流れていました。
だから、もう、この問題のグローバル化は避けられない。興味だけでなく、海外に渡航したり、東京に住み、都心を毎日行き来する私には、必要な情報と問題を多く含んでいると感じます。
実は、昨年、ちょうどパリのピエール・カルダン劇場で、公演をしたとき、目の前がアメリカ大使館でした。
そのときは、劇場に入るのも、写真を撮るのも、ものすごい勢いで、チェックされました。劇場の前で撮った写真は全部、消させられました。また、無線ランのPCをもっていたら、それをONさせるなとも、注意を受けました。
都市でのテロや大使館警備に対する緊張は、この時、思い知ったしだいです。